2013年2月27日水曜日

Dom Urodzenia Fryderyka Chopina w Żelazowej Woli

おはようございます。今日一日ワークショップを担当することになっていた先生が風邪でお休みになりました。この先生自分が病気とか子どもが病気とかで今学期休講多すぎてなんかもう・・・。
平成三年生まれ、日本ではゆとりゆとりと馬鹿にされている私たちですが、こっちの先生たちのがよっぽどゆとり。

そんなわけで時間ができたので週末のことを書こうと思います。
タイトルは「ショパンの家」ですが、ショパンの生家に行きましたっていう話ではなくて、ショパンの生家もいいけれど・・・っていう話です。

今回私が訪れたのはグダンスク。2回目です。今彼氏がポーランドにいるので会いに行ってきました。観光目的ではなかったのと寒かったのもあってそんなにアクティブに動きまわったわけではありませんが、行ってみたかったヴェステルプラッテには行くことができました。

ヴェステルプラッテと聞いてピンとくる人がどれほどいるのかはわかりませんが、1939年9月、ヒトラー率いるナチス・ドイツがポーランドに進撃したことから第二次世界大戦が始まったことは誰でも知っていると思います。
ヴェステプラッテというのはグダンスク(当時はダンツィヒ)の岬のことで、ここにはポーランド軍の基地がありました。1939年9月1日、ドイツは宣戦布告なしにポーランド侵攻を開始し、ポーランド軍の10倍以上もの兵力を以ってヴェステルプラッテを攻撃。これがきっかけとなってイギリス、フランスがドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が始まったということで、ヴェステルプラッテは第二次世界大戦始まりの地とされているんですね。

ヴェステルプラッテへはバスで行ったのですが、同じバス停に私たち以外にも観光客らしき集団がいて、運転手さんが驚いていました。「チケット足りるかな?」って言ってたらしいです┐(^-^)┌

着いてみるとなんだかすごく淋しい場所でしたが、思ったより人がいて驚きました。





モニュメントはかなり大きかった!下に豆粒みたいに写っているのが私です(*゚▽゚*)
このモニュメントのフィギュアを売っているおじさんがいたけれど、寒い中外であんな商売をして一日にどれほどの稼ぎがあるのかと考えると切なくなりました。

彼氏に「来てよかった」と言ったら「この場所に来たがる日本人って珍しいんじゃない?ショパンの家にはたくさん日本人観光客がいるけど」と返されたので「そんなことないよ、来る前に調べたらヴェステルプラッテに来たって書いてるブログがいくつもあったし」って反論しておきました。ショパンの生家が日本人に人気の観光スポットだと言われても驚かないけれど、それだけと思われるのは心外じゃないですか。

寒かったので長居はしませんでしたが、本当に行ってよかったです。なんだか感化されて帰りに空港で歴史の本を購入した私でした。



ヴェステルプラッテから戻って少し休憩したあと、お昼ごはんにケバブを食べました。
ソースはスパイシーなのとスパイシーじゃないのとミックスと3種類あったのでスパイシーでお願いしますと注文したら、「スパイシーってめっちゃスパイシーだけどいいの?ほんとにスパイシーだよ」とお店の人に念を押されました。結局スパイシーなのを注文しましたが、大したことはなかったです。あの警告はなんだったのか。ただ量が多すぎて残してしまいました。小さいサイズが全然小さくなかった・・・。矛盾だらけのお店だな、という感想。おいしかったけど。

そのあとふらふらと散歩をして、ビールが飲みたいねと言って入ったお店に変なメニューがありました。


 チェコのビールなんですが、一番上は泡だけ。その下は泡なし。泡だけのやつには「帰る前に注文して一気に飲み干しましょう」的な説明書き。最初に普通のビールを注文したあと、彼が泡だけのを頼んだのですが、話しながらのんびり飲んでいたらそのうち普通のビールになりました。「だから一気に飲まなきゃだめなんですよ」と店員さん。それにしてもわけのわからないメニューを思いつく人がいるものです。


せっかく会いに行ったのに夜中に喧嘩をしたり、帰りに乗り継ぎに失敗してルンドで1時間待機したりと疲れることもあったけど、なんだかんだ言って楽しい週末でした。

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